まともな日記書くのは久しぶりかも。 居酒屋レビューだのセンターレビューだの外部評価が多くなりがちだったわけでたまには内部評価をしてみようかな あっ読まなくていいですよみなさん 最近やっとこの時期になって物理学科の人たちと話せるようになってきた。ついこの間までは元同クラの下長やらとばかりつるんでいて関係を広げようとさえ思っていなかったのだ。というのもこの物理学科といふもの恐ろしくオタク率が高いのである。いつも物理の話やら数学の話やらを話していて正直あまりお近づきにはなりたくない。しかし、最近になって気づくようになってきた。これは一種の自分への甘えなんじゃないか、と。そもそも東大なんてよくわからんcommunityに属した時点でこれは覚悟しておかなければならないことだ。ただ純粋に学問を貫く姿勢、これが研究者になるために必要な要素であることは自覚している。生徒にはいつも『「大学は学問をするところ」であってあくまでそれがメインにならなくてはいけない。』なんて言っているが、こんなこと本当に今の自分が言う資格などあるのだろうか。常日頃から学問にまっすぐな学生、これほど素晴らしいことはないはずなのにそれを素直に納得できない自分がいる。結局今の自分は「東大なんて勉強できないやつの集まりだ」なんて中身を見ずにおっしゃる方々とそう変わりないのかもしれない。 正直今の物理学は、学問に全生涯を傾倒できないような人が成功するほどやわではない。今までなんとなしに「自分なら何かしらできるんじゃないか」と信じてきたがどうやら甘すぎるみたいだ。結局努力の方向を学問以外の方向へ追いやることを無意識のうちにしてきてしまったのかもしれない。 開成のナントカ君(名前は忘れた)から聞いたのだがうちの学科には渡辺君という化物がいるらしい。どうやら彼は中学生のころから量子力学の心得をもち、今では超ひも理論を修了しているということだ。自分と彼の差は子供と大人、いやそれ以上あるといっても過言ではない。そういった化物と同じ土台で勝負していかなければならない世界に、いつの間にか自分は収まってしまっていたこと、最近になってようやく自覚するようになった。能力ではなく方向、その純粋さが自分にはまだ足りない。 理学は恐ろしい。自然を相手に戦わなくてはならないからだ。人と戦う工学や医学にはない怖さがある。なぜなら答えが1つしかないからだ。人ならば10の答えがあり、そしてそれは10の方向性を示唆する。しかしながら自然はやさしくはない。完全に答えは1つ。而して進む方向もまた1つ。 落ち込むというよりは悩む。しかしながら一度開けてしまったドアを変えることはできない。まっすぐ進まずして光が見えることはないだろう。 しかしまぁそれでも日本酒はうまいですなぁ |