今日は一緒の掃除班(C班)だった男と東京工科大まで歩いて散歩に。思わぬ広さ、美しさに唖然。あな、あわれなり。正直入学したくなる。本郷より魅力的かも(笑)いやいやうちも負けてないよね・・かの有名な建築家、内田ナンチャラが設計した本郷キャンパスも幽玄なたたずまいを醸し出していて十分にすばらしい(はず)。 そんなことを思いつつ今日考えたのは自然のこと。京都に行ったとき、嵐山をはじめとする多くの場所で美しい自然を見てきたが、自分にとって「美しい自然」とは人工的な影響を適度にうけた自然である、ということに気がついた。本来の自然に求められるのは人間の介入のないありのままの姿。しかし、自分はそこの感動を覚えたのではない。確かにアマゾンのジャングルに放られたら自然の雄大さに感動を覚えるかもしれないが、自分の好みはある程度人間の秩序によって整えられた自然。嵐山の散策道の自然も、東山の円山公園の緑もすべて人工的にアレンジされた代物。ある程度、ランダムの中に秩序が施されているから面白い。いや逆か、秩序の中にランダムが存在しているから面白いのかもしれない。どちらにせよ今まで自然は美しいなどと大きな口を叩いていた自分が情けない。思わぬところで他の人為が自己を左右している。やはり現代社会の中では人為を消滅させることが難しいのだろう。自然を愛することが人為を愛することにつながるという逆説。うーむ考えさせられまする。 |