自殺直前に出会った2人が結婚へ、人生のどん底が一転ハッピーエンドに。 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1208441&media_id=84 これなんか、いつかアンビリバボーのテレビとかで特集組まれるんだろうな〜 「運命」を感じた、なんて言ってるけどそもそも「運命」ってなんだ? 「運良く出会った命の組み合わせ」 を意するのならばある意味まっとうな考え方ではあるが、 「今ある命を超えた所にある半超常的な巡り合わせ」 を意するのであれば専ら科学信者の攻撃の対象になろう。 偶然を形而上の問題へ昇華させ、その高貴さ崇高さを人外のものとし、議論を放棄させる、人間の愚かな営みなのだろうと。 物理学の視点を絶対視するならば後者の「運命」は馬鹿げた夢物語でしかなくなる。 今や物理学は古典論の域を越え、確率の波の支配する量子力学の支配下にある。 そこでは、未来が完全に確定されているという決定論的視点が否定され、全ては事象が起きるまで不確定である。 もちろん「運命」なんてものはナンセンスな捉え方であり、それは事象を認識した後の人間的解釈に過ぎなくなってしまうのだ。 しかしながら、科学をするものは極端な科学信者になってはならないと思う。 あのアインシュタインでさえ、確率という非決定論的解釈を嫌い、遅れをとってしまった歴史が示唆している。 科学は人間の解釈の仕方の一つでしかなく、その時々の超常は常に変わる。単に人が合理的理解をしたものが科学へと名を変えることを考えれば、極端な科学傾倒はヒューマニズムのなす自己満足に過ぎないのではないか? 第一、物理には最も重大で見過ごしてはならないパラドックスがある。 「自然は美しい」という仮定のもと、そこに解釈を与えていくのが物理学であるが、その仮定こそ科学的に説明できないある意味人間に与えられた「運命」に則ったものなのだから。 とか考えちゃう時点でもう色々腐ってるような気がする |